夏目漱石について その42

 今年も始まり、すでに二週間が過ぎました。作家「夏目漱石」に関する記事も数字が増えましたが、没後も彼の人柄や逸話は交流があった人々によって手紙や回想で語り継がれています。そんな漱石に関わった人々ですが、北は秋田、南は福岡まで生まれたり、育った土地は様々です。漱石こと夏目金之助は生まれも育ちも東京で、教師として九州に出向いた事もあります。彼が生きていた明治から大正は電車や徒歩が主な交通手段だったでしょう。また、現在より頻繁に郵便が配達されていたそうです。
 現在はインターネットも普及していますが、これも最近になってからです。明治時代だと電話も一般的ではありませんでした。なので、主な交流手段は「手紙」です。今だと直ぐに連絡が取れるので何気ない内容は残らないでしょう。ですが、漱石が亡くなった後には作品をまとめた十一冊と手紙の内容を集めた一冊の「書簡集」を合わせた全十二冊からなる「全集」を作る事になりました。そこまでは良かったんですが、漱石に関する手紙が集まりすぎて、本来は最後の一冊だった「書簡集」は別売りになったそうです。時代的な要因もありますが、この書簡集に関する話は漱石が慕われていたのが伺える一つです。

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