武田泰淳 『風媒花』 七

一 橋のほとり 七

「会を構成する全員の全胎内が腐り果てる事があったなら、その一瞬に、彼は人間に絶望するだろう。会は前進し、彼は取り残される。それはいいのだ。……。峯は嫉妬ぶかい。会の同人の一人々々に対して、嫉妬の眼をキラつかせている。だが、精神的なものどうしの嫉妬には限度がある。いくら嫉妬しても、正しいものは正しいことを、やがて承認せざるを得ないだろう。」

会は峯における「正しさ」のバロメーターなのです。ここでは、理由はまだ明かされていませんが、卑屈になってしまった峯という人間の心持ちが書かれています。それは、「嫉妬深い」と。しかし、その嫉妬も「正しさ」を承認せざるを得ないと書かれています。嫉妬は、自身の卑下から概して起るものです。峯は、何故か、自身を卑下せざるを得ない状況にあるようです。

「広い喫茶室には、……。コーヒー一杯で数時間ねばる客を、軽蔑することもない。」

ここで、一転しても、峯が現在いる喫茶室の描写に変わっています。これは、峯に迫る武田泰淳の筆の箸休めに違いありません。根を詰めて、一直線で峯を追い詰めても何もいいことはありません。じっくりと、峯について書くぞという宣言が、この喫茶室の描写には宣言されているようにも思います。しかし、武田泰淳は、既に鋭いまなざしを峯に向けています。それは、「峯は嫉妬ぶかい」という一言です。これによって、峯がただならぬ何かを内に秘めているに南限として浮かび上がってきます。

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