武田泰淳 『風媒花』 三十五

一 橋のほとり 三十五

「中日事変の開始された七月七日、この中井が、吉原の大門をくぐるとすぐ、土地の若い衆と立廻りを始め、「サア殺せ」と大の字に寝そべったものだ。豪奢な北京生活で、峯を羨ましがらせた事もある。憲兵の情婦と恋愛事件を起し、憲兵たちに割られた傷痕が、肉の落ちた額に残っている。空腹を抱え、酒に焦れて、火曜会にたどりつく今の今井は、発言もせずにおとなしく同席している。峯は今までは、どうやら沈没せず、うまく切り抜けて来た。切り抜けられたことがただしかったのか。」

今井は、戦後直後の日本人の典型として描かれているのかもしれません。それにして、その落ちぶれ方は日本の姿そのものと言った感があります。そして、峯は、落ちぶれきれていないことに何や疚しさを感じているようです。

次には鎌原文雄の危篤が語られます。それが、自殺ではないかどうかという話になります。そして、鎌原と中井が同級生ということが語られます。

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