前回の記事では漱石のイギリス留学について書きましたが、実はイギリス留学も含めて漱石には精神的に荒れていた時期ありました。その最も古い時期が学生時代です。その頃は実家と学校の環境が合わなかったのか、それとも居心地が悪かったのか塞ぎこんだそうです。そんな漱石の面倒を見てくれたのが菅虎雄という人です。彼は漱石が通っていた学校の先輩でもあり、三歳年上で兄の様な存在でした。同じ学年ではなかったものの、漱石が塞ぎこめば何かと面倒を見たそうです。この頃の漱石については詳細を知る人は菅の他におらず、色んな人が話を聞きたがったそうですが、菅は決して話す事は無かったそうです。
こうした部分があるから漱石が頼ったのかもしれません。また漱石を松山中学に斡旋したのも彼です。つまり、彼の斡旋が無ければ「坊っちゃん」の舞台が変わっていたか、もしくは小説自体が生まれていなかったかもしれません。この様な理由から、菅虎雄は漱石を語る上で欠かせない人物とも言えます。
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