夏目漱石について その19

 前回の記事で書いた「修善寺の大患」ですが、そこには記念碑があるそうです。建立されたのは漱石が亡くなった後の昭和八年です。そこには漱石の親友である狩野亨吉の言葉が刻まれているそうです。その大患ですが、漱石が吐血した際に医者はドイツ語で会話していたそうです。しかし、ドイツ語も習得していた漱石は医者が「助かりそうにないから子供を呼んだ方がいい」と話した際にハッキリと「子供に会いたくない」と言い返したそうです。それはドイツ語が分からないから平気だろうと好き勝手に話していた医者に対する反論であり、本当に会いたくなかったのではない筈です。この事は後に漱石が綴った「思い出す事など」という話に収録されています。
 それまで閉じていた目を開いて、ハッキリ言ったそうです。これには医者は驚いたでしょう。その「思い出す事など」には、一命を取り留めた後が綴られています。今までは逸話が多かったですが、次回から「思い出す事など」に綴られた漱石の入院中の事を幾つか紹介していきます。

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