さて、このブログでは定番になりつつある夏目漱石の「修善寺の大患」ですが、これに慌てたのは本人や医者だけではありません。少し前の記事で奥さんが電報を百通も出したという話は書いたと思います。一番に動いたのは最も古く漱石の世話を焼いていた「ぜこう」こと中村是公です。そして、一番に来たのは「安倍能成」と書いて名前の漱石の教え子です。彼の名前は「あべよししげ」と読みますが、彼の名前は「あんばいよくなる」とも読めます。その為にゲン担ぎが好きだった奥さんは喜んだそうです。
そして、まだ携帯もインターネットも無かった時代は新聞記事は大事な情報源です。記者との交流もあった漱石ですから、奥さんは新聞社にも電報を送りました。やがて、記事を読んで人が一斉に押し寄せて大変な事になりました。そんな人々の中で学生時代から漱石を慕っていた寺田寅彦は、日本から来た手紙で漱石の容体を知ったのです。それまで頻繁に手紙を送っていたのに、急に来なくなったが次の手紙で危篤を知らされた。交流が深かっただけにショックだったでしょう。
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