夏目漱石について その31

 再び日中の最高気温が高くなり、布団など厚手の洗濯物が良く乾く様になりました。ですが、今になると肌寒いです。湿度を高くしようと加湿器を作動させていますが、なかなか上がってくれません。そんな本日は前回の続きの様な話です。漱石が大阪の公演中に食べ過ぎて倒れた頃に弟子達が担当していた新聞の文芸欄で一悶着ありました。社会的な内容の記事を小さく扱ったり、文芸欄で無名の学生が亡くなった事について三日も使ったりと、それで社内でも擁護派と反対派に分かれたり、揉めに揉めて流石に漱石の辞表はあせんでしたが、文芸欄は廃止されました。この事について漱石は担当していた二人に「文芸欄は君達が好き勝手していい場所ではない」という内容の注意をしますが、当人達には漱石は年を取ったから、自分達は苛烈に文学をやらねばと聞き入れなかったそうです。
 博士号を断ったり、大仰な肩書きを嫌う節がある漱石ですが、だからと言って反社会的ではありませんでした。なので、自分の言葉が届かなかったのは寂しかった事でしょう。

Posted in 文学 | Leave a comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください