漱石が倒れたのは明治43年の夏頃で、その翌年の明治44年に博士号事件や夏には新聞社の講演で赴いた関西で倒れております。そして、倒れた頃に文芸欄の事件が起きます。そんな漱石ですが、同年の11月に末娘が亡くなっています。名前は雛子、明治43年に生まれたばかりの女の子です。原因は不明、残っている資料によると急に倒れて、そのまま息を引き取ったそうです。後で妻が解剖すればよかったと言った際に、自分では気付きもしなかったと残しているそうです。残酷な事じゃない、どうして亡くなったのか知りたかったという親としての思いが伝わってきます。漱石は生まれた当初は身内に追い出されて、大人になった際は養い親に金銭を求められて揉めるなど「幸せな家庭」とは断言できない場所で育ってきました。ですが、子供の死は悲しかった様です。寺田寅彦の残した資料によると、漱石は「胃にヒビが入った、精神にもヒビが入った」と言っていたそうです。
漱石が手掛けた「彼岸過迄」という小説の一遍に、この出来事が元になった「雨の降る日」という話があります。興味を持った方は是非とも読んでみてください。
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