夏目漱石について その33

 11月も中旬を過ぎて、気温は本格的な「冬」になりそうです。そして、書いた後に気付いたのですが、漱石の子供が亡くなったのも今月でした。あまり意図していなかったのですが、読み返して驚きました。前回は私が残されていた資料の一部を抜粋した程度の内容でしたが、実際に漱石は明治44年12月3日に書いています。下記の文章は資料から日記の一部を抜粋したものです。

「昨日は葬式今日は骨上げ、明後日は納骨明日はもしするとすれば逮夜である。多忙である。然し、凡ての努力をした後で考えると凡ての努力が無益の努力である。死を生に変化させる努力でなけければ凡て無益である。こんな遺恨はない。
 自分の胃にヒビが入った。自分の精神にもひびが入った様な気がする。如何となれば回復しがたき哀愁が思い出す度に起こるからである」

 読みやすい様に現代文になっていますが、この文章の前に漱石が「死んでみるとあれが一番可愛いように思う」と書いています。漱石の家庭が円満だったかは周囲の人々しか知りませんが、子供に対する愛情はあった様に感じられる文章です。

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