夏目漱石について その51

 引き続き東京に降り立った三四郎が口にする「食べ物」に関して紹介していきます、手紙に書かれた同郷の従弟である野々宮の元を訪れた際に「福神漬けの缶」に似た、光線の圧力を計る装置を目にします。それから、一度は野々宮と別れた三四郎ですが、少しして顔を合わせます。そこで野々宮と少し歩いて、西洋料理を奢ってもらいます。その感想が下記の文章です。
「それから真砂町で野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまい家だそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。しかし食べることはみんな食べた」
 先週も書きましたが、三四郎が書かれた時代は明治41年頃で、まだ西洋文化が一般的ではなく、アイスクリームやジャム等の所謂「舶来品」は今より高級でした。なので、地方から出てきた三四郎の様な学生が西洋料理を口にする機会は多くなかった筈です、なので美味いか、不味いか良く分からない。それが先の一文で上手く書かれています、これだけでも当時の時代背景が伺えます。三四郎より七つ上の野々宮は食べ慣れた様子ですが、三四郎が「紹介する側」になるのは時間が掛かるでしょう。そんな三四郎の東京生活は更に続きます。

Posted in 文学 | Leave a comment

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください