夏目漱石について その58

 本日まで「三四郎」に登場する食べ物を中心に紹介してきましたが、前回の記事に至るまで飛ばしているエピソードがあります。「三四郎」とは九州の田舎から出てきた主人公が、都会の様々な人と交流して得られる様々な経験や恋愛が書かれており、三四郎を通して当時の日本が批評される事もあります。基本的に三人称ですが、物語は三四郎視線で進み、三四郎の内面に及ぶ事もあります。また、目にする出来事も楽しい事ばかりではありません。前回の記事で三四郎は野々宮に頼まれて、一晩だけ彼の家に泊まる事になります、その後に「落ち込む事」の一つを紹介します。「マカロニー」の話題が出る前に、三四郎は偶然にも列車に飛び込んで命を落とした女性を目にします。それを見て、三四郎は人生について考えました。
 「その顔と「ああああ……」と言った力のない声と、その二つの奥に潜んでおるべきはずの無残な運命とを、継ぎ合わして考えてみると、人生という丈夫そうな命の根が、知らぬまに、ゆるんで、いつでも暗闇くらやみへ浮き出してゆきそうに思われる」
 ここで三四郎は批評家になろうか、とも考えたのです、その後に次の「落ち込む事」に遭遇します。

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