夏目漱石について その62

 与次郎に頼まれて貸家をしている場所に来た二人ですが、与次郎は門を開けようと二人と離れてしまいました。二人きりになった三四郎は勝手に「広田先生」と呼んでいた相手が同一人物だった事が分かり、その「広田先生」が三四郎に話しかけます、東京の事を聞かれます。困った様に「ええ」としか返せない三四郎に、広田先生は東京は広いだけで綺麗ではなく、富士山と比べる様な所はないだろうと言います。そこで初めて、三四郎は前に汽車の窓から見た富士山を思い出し、たしかに崇高なものだ、色々と考えている自分の頭の中とは比較にならず、その時の印象を忘れていた事を恥ずかしく思います。そんな三四郎に広田先生が変わった質問をします。
 「すると、「君、不二山ふじさんを翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた」
 いきなり「翻訳」と言われて、三四郎は直ぐに答えられませんでした、すると先生は「自然を翻訳すると全て人間になってしまう」と言います。つまり、翻訳とは「人格上の言葉」と言う事です。そう言い、もっと続くのかと思った話は終わってしまいます。電車の時と同じく、彼は少し変わった事を言う先生の様です。

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