夏目漱石について その67

 前回の記事では、日本の在り方に異を唱える与次郎に広田先生が日本について語る所を紹介しました。その言い分は二人に「なるほど」と言わせます、やがて、三人は与次郎の意見で近道をしようとして怒られる場面になります。それまで、色々と悩む事もあった三四郎ですが、下宿に帰ると気楽な半日だったと感じます。次の日、三四郎は学校へ行きますが、前日に会った与次郎が来ないのです。図書館にも足を運びますが、やはり見当たりません、そのまま三四郎は電燈を付けるか迷う様な夕方にある講義を受けます、ここで久しく出ていなかった食べ物の話題がでます。
 「筆記するには暗すぎる。電燈がつくには早すぎる。細長い窓の外に見える大きな欅の枝の奥が、次第に黒くなる時分だから、部屋の中は講師の顔も聴講生の顔も等しくぼんやりしている。したがって暗闇で饅頭を食うように、なんとなく神秘的である」
 それでも、講義が変わらない事に三四郎は妙だと思い、何だか神経が鈍感になって、気が遠くなる様な気分になります。ですが、それこそ講義に価値がある様に思うのです。この「暗闇で饅頭を食うのが神秘的」とは、なかなか面白い表現だと個人的に思った部分です。

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