武田泰淳 『風媒花』 十

一 橋のほとり 十

「『西はその点はジャーナリストだからな。如才ないよ』軍地が皮肉をもらすと、口もとの傷痕(きずあと)は凄みを帯びる。中支戦線で、直属の将校に帯剣で殴られた傷痕は、すべすべした、薄く盛り上がった筋を、軍地の岩乗な顎(あご)に走らせていた。」

軍地という人間は、凄みのある人間という事がこの一文でくっきりと浮かび上がってきます。何か一方ならぬ過去を持った人間のようです。

「「まあ、よろしく頼むよ」/……。/「権利は無いけどね。批判はするよ」軍地は押しが強く、最後まで軽蔑的な口調を持ちこたえられる男だ。その押しの強さが、峯には魅力なのだ。美貌の西が、細顔の頬を紅潮させて軍地に抗弁する。その恥ずかしがった子供らしいせき込み方も、今の峯には可愛らしい。そう冷静に眺めるゆとりも、現在の峯にある。西は軍地にくらべ、弱々しく崩れ易い、やさ男だ。だが西だって、(少なくとも火曜会の席上では)率直に自己をさらけ出して、少しでも自己を鍛錬しようと努力している。ここだけはでは、商売根性も、世帯の苦労も、嫉妬や反感や社会的なさまざまの壁をとっぱらって赤裸々の気持ちを吐き出そうと、夢中だった。だが人間は、遺憾ながら個体なのだ。別々に自分々々で、一個の個体と精神しか所有できない、孤立した個体なのだ。」

軍地は、ひどく威圧的な人間のようです。そして、西は、まだ、若い美男子のやさ男とあります。しかし、この火曜会では、軍地にしても西にしても差別はなく、皆、己をさらけ出す会だという事が読み取れます。その後に、武田泰淳の人間の捉え方の一端が現われる地の文が現われます。ここでは、前半部分だけ書き出してありますが、人間問いは、最後は個体でしかないと、ある種の「断念」が語られています。人間を個体と断言するには、其処に「断念」がなければ、発せられない言葉のように思います。諦念ですね。ここには、戦争を生き残った人間のその姿がそれこそ赤裸々に書く事を一つの作者が自身に課したもののように思います。

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