武田泰淳 『風媒花』 十二

一 橋のほとり 十二

そして、峯たちの会話が続きます。

「『軍地さんが桂さんに会う……』……。/『軍地君の潔癖は僕も認めるけれどね』大学講師の西村は、いつも仲間うちで調停役を買って出た。その役は、世なれた四十男の妥協的態度と感得されて、損とわかり切っているのだが。……。/西もこの時とばかり、軍地に逆襲した、『みんなおんなじ人間だろ。そりゃ我々は才能の点では優劣がある。俺は軍地の才能には敬服するよ。峯の才能は才能で認めている。だけど人間は才能ばかりで生きているわけじゃない。その点が軍地は独断過ぎる。駄目だよ、そんなこっちゃ。この頃君の書く物を読んでもその独善的なところがハッキリ出てる』/『俺はジャーナリストに才能を認められなくともいいよ』軍地は、岩が呟くように、そっけなく言った。そして、峯の方をチラリとも眺めずに、峯に関して喋った。『俺は峯と同等に扱ってもらいたくないね。俺は峯を認めんよ。峯は最近堕落したね。彼は、以前は、こんなじゃなかった。まだましなところがあった。今はてんで駄目だ。ねじくれている。曲がりくねって、どうにもならなくなっている。しかも彼は、それを十分に意識していない』」

どうもこの火曜会というのは、軍地がゆるぎない位置を保っていて、にらみを利かせている界のようです。軍地は、峯にとって「岩」なのです。この表現は面白いですね。「岩」のような男とは、すんなりとイメージが湧く言い回しです。そして、峯は軍他の眼から見ると「堕落」しているということです。武田泰淳の著作に『堕落論』というものがありますが、この峯という人物は、当然、武田泰淳自身の投影なのでしょうが、しかし、峯≠武田泰淳なのです。これの『風媒花』は飽くまで小説です。登場人物に関しても、武田泰淳の周りに集っていた人物が思い浮かびますが、それをしてしまうと、まんまと武田泰淳の罠に引っ掛かります。これは、小説なのです。小説は、小説の中でのみ、生き生きとする世界を創出する作業です。

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