武田泰淳 『風媒花』 十三

一 橋のほとり 十三

「『峯君だって苦しんでいるよ』と、梅村は峯の方に視線を向けながら、年長者らしく軍地をなだめた。/『いや、彼は苦しんでいない。苦しんでいると錯覚しているだけだ。彼は単なるアプレゲールですよ。いい気になっている。俺は中国文化研究会が、彼のような男を出した事を恥じるね。見そこなったよ』。」

梅村という年長者がここで登場してきます。また、アプレゲールとは、「戦後」という意味です。どうも軍地と峯は対立しているようです。

「『誰に恥じるのかね。魯迅さんにかね。毛さんに対してかね』梅村は軍地の毒舌をからかって切り返そうとした。軍地は、魯迅と毛沢東の芯の理解者として文化界で重んじられている。/『何も峯を論ずるのに、魯迅や毛を持ち出す必要はないですよ』」

これが軍地の言い分です。これに対して、峯の思いは、次の地の文で描かれています。

「軍地は、自分を理解しない仲間に向かって、厭悪と焦躁の念をむき出しにした。軍地は生理的に疲れているな、血色がわるい、と峯は観察した。」

軍地は疲れているのです。少なくとも峯にはそう見えたのです。そして、窓から見える風景の描写が書かれています。小説において、風景が描かれるのは、小説世界を自立させるためのものであって、現実をなぞっていては、その小説は失敗です。果たして、武田泰淳はどうなのでしょうか。

「窓外はやや曇り、……、殺風景な空間に、その真紅の文字は、よそよそしくまた馴れ馴れしげに、馬鹿でかく浮かんでいた。遠い煙突の黒煙は、しずかに絶え間なく、町の人々をおびやかすように流れた。」

異化にも峯の心は、殺風景で物静かな様子が手に取るように解かります。ここでの風景描写は、総じて峯の心像でしかありません。そして、峯の心は、暗く沈んでいる事が解かります。

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