武田泰淳 『風媒花』 十六

一 橋のほとり 十六

「偽満洲国はまだ成立していなかった。日本政府は中国の東北部で、まだ利用できる軍閥と連絡を保っていた。日本の中国研究の主流は、官立大学の教授たちの掌に握られていた。東大には漢学会と斯文会、京大には支那学会があった。だが、中国現代文学を専門に研究する団体は見当たらなかった。日本の文化人の大部分は、「支那」大陸とのあいだに架かった、腐蝕した古い木橋に、ペンキを塗り、杭を添えて、「日支親善」を実現できると錯覚していた。日本と中国との間には断崖がそびえ、深淵が横たわっている。その崖と淵は、どんなに器用な政治家でも、埋められないし、飛び越せもしない。そこには新しい鉄の橋のための、必死の架設作業が必要だった。」

長い引用になりましたが、これは、現在の日中間の関係にも当てはまるものです。この『風媒花』の時代背景は、戦中戦後と考えられますが、ある意味で、日中間は、その時から何の進歩もしていないのかもしれません。武田泰淳は、元々中国文学の研究者でしたので、この『風媒花』に現実味を持たせるために、当時の中国関係の学会を取り囲む状況を書いたのかもしれません。次に進みます。

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