武田泰淳 『風媒花』 十七

一 橋のほとり 十七

また長い引用です。しかし、武田泰淳の作品は、地の文に素の魅力が隠れている場合が多いのです。

「頽れる堤と頽れる堤のあいだに、何度、いいかげんな端を渡しても。無駄であった。贋の橋や仮りの橋は、押し流されるより先に、ひとりでに腐り落ちた。峯たちには、架けねばならぬ新しい橋の姿が、おぼろげながら想像できた。まだ架かっていないその橋は、時には、霞たなびく天の橋立の如く、ロマンティックな虹色に輝いて、優しく招いた。時によると橋は、血なまぐさい地獄の焔に焼かれた刑罰の鉄板の如く、彼等をおびやかした。その橋が二つの旗幟をつなぐ日、両国の文化はすっかり変貌しているにちがいなかった。岸の地盤が積み直され、固めなおされ、形を改めた日、橋ははじめて架設をおわるはずであった。両岸の地盤を改造するための努力、それのみが、この作業の第一歩のはずであった。この築岸工事を企てるためには、彼等の力はあまりに弱かった。その弱さ、その屈辱を一番身にしみていたのは、軍地だったろう。そのせいか、黙々たる実務家であり、痛烈な理論家である軍地の眉が、突然暗く翳るのを、目撃した。雷雲に襲われた渓間のように、けわしく暗い影が、軍地を陰気にした。笑う時さえ、その影はつきまとった。」

以上、とても長い引用になりましだか、武田泰淳という作家の魅力が子の地の文に満ちているのがわかると思います。武田泰淳はお坊さんという顔も持っていたので、地獄の比喩など面白いです。しかし、ここで書かれている事は、現在の日中間にもまったく同じように当て嵌まり、時代はまったく進歩していないことに愕然とします。それはさておき、軍地には暗い翳が付き纏っているのです。それは、次第に明らかになってゆくでしょう。然し、この火曜会が座礁寸前な事はこの地の文から窺い知れます。

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