宮沢賢治について5

 自費出版で詩集を出版した宮沢賢治ですが、当時の詩人に評価されたものの、本自体は売れませんでした。ですが、彼は続けて童話を出版します、それが彼の代表作「注文の多い料理店」です、出版当初のタイトルは「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」です。詩集が売れなかったので父親から幾分か借りて、更に発刊した本も幾分か買い取ってもらうなど出版費用の工面には苦労したそうですが、それでも東京で印刷製本して、「光源社」の名義で1000部作りましたが全く売れませんでした。ですが、広島出身で日本の児童文化運動の父とされる小説家で児童文学者の鈴木三重吉氏が厚意で、彼が創刊した童話と童謡の児童雑誌「赤い鳥」で「注文の多い料理店」の広告が1ページですが掲載されました。
 この様に、現在は詩人・童話作家として有名な宮沢賢治ですが、当時は無名だったのです。そして、農学校の教師を辞め、百姓になるという手紙を弟に送り、妹トシが療養していた別宅に移って本格的な農業を始めます。ただ、これも売り方が悪く、生活は苦しかったそうです。

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