宮沢賢治「雨ニモマケズ」について1

 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」は彼が残した詩、正確には手帳に残したメモですが、その内容とリズミカルな言葉のセンスから一般としては「詩」と認識されています。これが記されていたのは、彼が1931年頃に使用していたとされる黒い手帳で、世を去った後に発見されて鉛筆で書かれた本作も世に広まったそうです。
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ イツモシヅカニワラッテヰル 一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ 野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ」
 そこからさらに東西南北で困っている人がいれば、自ら行って助けて、けれど諸手を挙げて歓迎されたり、褒められなくてもいい、そんな風になりたい、という言葉と彼が最後まで信仰していた法華経の御経が添えられています。実際に菜食生活をしたり、農学校の教師をしていた事もあり、彼の代表作として有名になったのでしょう。また、東西南北で困っている人を助ける精神論も、法華経から学んだとされています。また、この作品が有名になったのは花巻市に、この詩が刻まされた「詩碑」が建立されたこともあります。これには、生前から彼を評価していた高村光太郎氏が協力したそうです。

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