武田泰淳 『風媒花』 十九

一 橋のほとり 十九

「軍地はこの神聖な単語(中国)を汚濁した罪の共犯者でもあるかのように、峯をジロリと眺めやったものだ。共犯者。そうかもしれなかった。……。彼(峯)が火曜会に出席することさえ、美しい言葉に泥を塗り、その意義をあいまいに濁らせる行為かもしれないのだ。」

峯は、何故か、軍地にたいして引け目を感じています。それが何なのかは次第に明らかになると思いますので、更に読み進めます。

「『ああ、桂(クエイ)さん、いらっしゃい。こっちです。どうぞどうぞ』」

これで物語がそれまでピタリと止まっていたものが動き始めます。この緩急は、武田泰淳は見事です。

「椅子から腰を浮かせた西が、喫茶店の入り口に向かって、軽く首を下げた。強い香油の匂い、上質純毛ズボンのサヤサヤという音、舞台馴れした足どりが、むさ苦しい服装をした仲間の席に、派手やかな幕裏から吹き寄せる劇場のように、近寄って来る。給仕女が驚いて、こちらを見つめる。思いがけぬ高級紳士の到来が、彼女の田舎者らしい唇を、無邪気に開いたままにさせる。峯は、ぎこちなくなる。原が軍地の方へ、素速く鋭い視線を投げている。信頼する先輩の神経の動きが、原には興味深いのだ。だが、軍地は振り向きもせず、失業中の中井の栄養不良の首すじに、頑固な額をなすりつけて、自分たちの会話をつづけている。」

桂さんが颯爽と登場しました。終戦を象徴するかのように中国人と思われる桂さんは高級な出で立ちで喫茶店に現われます。その時の各人の素振りが興味深く描き分けられています。各人各様の桂さんの登場に対する反応で、それぞれの秘めたる思いが暗示されています。

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