宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について6

 三毛猫を追い返した次の晩にやってきたのは、カッコウでした、カッコウはゴーシュに音楽を教えてほしいといいますが、彼は鳴き方なんて同じなんだから、教わっても意味がないだろう、と言います。1万いれば1万通りの鳴き方になると言えば、わざわざ自分の所へ来る必要がないだろう、と全く教える気がありませんでした。それでも、カッコウはドレミファから正確にやりたい、とゴーシュに演奏を頼みます。ゴーシュの演奏に合わせて歌うというカッコウに、とうとうゴーシュは3回だけ、という条件でセロを弾くことにします。弦を調整して、演奏を始めますが、カッコウは違うと言います。
 どう違うのか聞けば、カッコウは姿勢を整えて、かっこうと鳴きました。それを聞いてゴーシュがかっこうと弾けば、喜んで鳴き続けました、それは本当に一生懸命にからだをまげて、彼の手が痛くなるまでカッコウは続けました。ゴーシュが演奏を辞めると、カッコウは残念そうにしましたが、最後に少しだけ鳴いてやっと鳴くのをやめたのです。

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