宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について7

 演奏が止まっても鳴き続けたカッコウに、ゴーシュは怒りました、そして用が済んだのなら帰れと言います。ですが、カッコウは後一度だけ演奏をしてほしいといい、ゴーシュの演奏はいいようだけれどすこしちがう、と続けます。自分に音楽を教わりに来たのに、まるで教えるようなカッコウの言い方に、ゴーシュは更に帰れと言います。ですが、カッコウはお願いです、と何度も頭を下げました。根負けしたゴーシュは、これで最後だと言い、弓を構えます。カッコウは出来るだけ永く演奏してくれるように言い、始まると本気になって、からだをまげて一生懸命に「かっこうかっこうかっこう」と叫びました。
 最初は嫌々ながらしていたゴーシュですが、弾いているうちに何だか、カッコウの方が本当にドレミファになっている様に気がしてきたのです。弾けば弾くほどに、そう思えてきたゴーシュは「こんなばかなことをしていたら自分が鳥になる」という様な事をいい、演奏をやめました。すると、さっきと同じ様に、カッコウはふらふらしながらも最後に少し鳴いてやめました。

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