宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について11

 追い返すつもりだった狸の子と朝まで夢中で練習を続けたゴーシュは暫くぼんやりして、自分が壊したガラスから入ってくる風を吸っていましたが、町へ行く為に仮眠を取りました。そして、狸の子が来た次の晩も夜通しセロを弾いて、疲れてウトウトしていると扉を叩く音がしました。もう慣れたゴーシュが「おはいり。」というと、戸のすきまから一匹の野ネズミが入ってきました、その後に小さな子供もいて、ちょろちょろとゴーシュの前に歩いてきました。その子供があまりにも小さいので笑ってしまいましたが、何を笑われたのか分からない野ネズミは青い栗の実を1つゴーシュの前に置いてお辞儀をしました。
 そして、子供の具合が悪くて死にそうだから助けてほしい、と言ってきたのです。ゴーシュは「先生」と呼ばれましたが音楽家であり、医者ではありません。だから、キッパリと医者は出来ないと言いました。ですが、野ネズミの母親は少し下を向いて黙りましたが、「それはうそでございます」と言いました。なんでも、ゴーシュは毎日、しかも上手にみんなの病気を治していると、続けたのです。もちろん、ゴーシュに覚えはありませんが、野ネズミは兎のおばあさん、狸のお父さん、みみずくまで治したのだから自分の子供だけ助けないのはおかしい、と言うのです。

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