武田泰淳 『風媒花』 二十一

一 橋のほとり 二十一

「『当時の重慶の状態がわからんと、わたしの苦労はわからんです』/『Qさんを御存知ですが』/仲間は、茶碗に注いだウィスキーのため無遠慮になる。/『知っているも何にも、Qとわたしは親友ですよ。彼が日本を脱出する以前から、友人ですよ』桂は、自分の中国文化界に占める位置を過小評価しようとする日本人研究者を非難するように、語調を強めた。」

まだ、これだけでは、桂が何者なのか、この『風媒花』では明らかになっていません。また、Qも実際にモデルが存在していましたが、『風媒花』を読むのにそんな知識は必要ありません。

そして、再び時間は止まります。

「……。Qは新中国文化界の重鎮、政治的指導者でもある。日本に亡命中のQとは、軍地も西も峯も面識があった。あれはもう十余年前手だ。(中略)。あの大きな、記憶力の良い頭部。情熱をひそめたあこがれの中国文化人に教えを受ける、純真な学生として、峯はテーブルをへだて、和服のQの前にかしこまったのだ。あの正直そうな大きな目。あの謙遜な、誠実な低い言葉。今は違う。今峯は、正体不明のジャーナリストが、Qについて語るのを、冷たく聴き流す。白い茶碗にトロリと溜まったサントリーは、高価なウィスキーらしくない。甘い、手数のかかった匂い。もう酔いかかっている。酔顔で救急病院へ入って行くのは、まずいな。文雄の母が、彼の酒臭い息から、憎らしそうに顔をそむけるだろう。文雄は死ぬだろう。死ぬのが義弟であり、彼自身でないことだけは確かだ。内ポケットの電報一枚が、彼以外の一人の男が死にかかっているぞと、彼に告げる。このゴワゴワした紙一枚が、そんな重大事を、何気なく立証する。」

ここで桂さんが正体不明のジャーナリストな事が解かります。そして、再び、峯には義弟の文雄が危篤だという知らせの電報のことを思い出すのです。ここでは、小説に流れる時間がとてもゆっくりのとなります。地の文とは、もともとそういう使命を負っているように思います。時間の制御こそが小説世界が現実と違う第一偽のことに思われます。つまり、小説では、時間は、書き手の思うが儘なのです。

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