武田泰淳 『風媒花』 二十五

一 橋のほとり 二十五

「だが、同じ黄色の皮膚をした隣国人に対しては、日本は徹底的な強者、侵略者、支配者として振舞おうとした。その一方的な戦争に、原も中井も峯も軍地も参加した(軍地は兵士生活の後半を陸苦吟刑務所で過ごしはしたけれど)。隣国人の血潮と悲鳴と呪いのどろどろと渦巻く、その巨大な事実が、彼等の出発点であった。走り出した方向は、峯と軍地とで異なっている。中井と原とも異なっている。西の方向、梅村の方向、その他無数の方向が、そこから岐(わか)れている。その岐路の行手が、愛国者としての名誉の死か、売国奴としての醜い生存か、エゴイズムの完成か、ヒューマニズムの妥協か、白か紅か緑か茫漠たる無色か、まだ誰も見きわめていない。」

ここに敗戦後の中国に関わった知識人の危うい存在の姿があります。愛国へ向かうか、中国に関わるかの自陣に対する詰問です。この『風媒花』は小説ですが、その時代背景は、敗戦直後の日本が設定されています。ここが難しいところなのですが、小説で設定されている時代背景に依拠して小説世界を語っていいのかどうかいつも迷います。

小説は、書き手によって書かれたその小説世界で閉じた世界だと私は考えています。其処に現実の世界が割って入ってくることは酢今年でも避けたいのですが、しかし、小説世界が現実によるところ大ならば、その事に関して少しは語らなければならないとは思いますが、此処は、あまり言及しません。しかし、中国研究者が敗戦直後どのような状況に置かれていたのかは、想像に難くありません。

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