一 橋のほとり 二十六
「『中日戦争が日本文学で、まだ完全な表現を得ていない。そこが問題だろ』と軍地は言った。……。『軍地は相手かまわず、悪口を言うので有名なんでね』梅村は桂に言った。/『彼は破壊者ですから』/『悪口じゃないよ。正直なところを言っているんだよ』/『軍地の奴』と西は苦笑した。」
ここで、軍地と桂とのやり取りが、緊迫感を持って書かれています。軍地は歯に衣着せぬ物言いの人物のようで、桂が『時代の花』という作品をものにしているけれども、それは、エロティシズムに逃げていると手厳しい評価が軍地に下されます。そして、軍地は、『文章という物は、その人間の内容を示すものだからな』と言わしめています。これは、武田泰淳が自分に言い聞かせているものなのかもしれません。つまり、軍地は、小説世界において、閻魔大王のような存在として描かれていくのかもしれないということです。
ただ、軍地は峯においてもその存在を意識せずにはいられない人物なのだということが、ここでの桂とのやり取りではっきりと描き出されています。