武田泰淳 『風媒花』 二十七

一 橋のほとり 二十七

「給仕女がアルミ盆の上の料理の皿をガチャガチャさせ、別の客へ運んでゆく。彼等の方を見まいとして、白エプロンの胸をそらしかげんに、彼女は二人組の客の席へ行く。ワイシャツの襟のよごれた男、血色のわるい疲れ切った男、よれよれの登山帽をかぶる男、中国(シナ)語をまじえて議論する男、彼等のグループが彼女には無気味なのだ。」

峯や軍地たちが第三者からどのように見られているのか、峯は十分に良く解っているのだ。第三者から見れば、峯たちの集団は、敗戦直後の日本においては薄気味悪い存在なのです。中国に関わることそのものが既に薄気味悪いことなのです。

此処でもまた、武田泰淳は時間を止めます。いや、実際は、給仕女のぎこちない動きを描写しているので時間は流れているのですが、しかし、その時間は、峯とはほとんど無関係な時間に思えます。峯たちに流れている時間と、給仕女たち第三者たちに流れる時間には裂け目がある事が解かります。武田泰淳は、敢えてそうしていると思われます。そうしなければ、敗戦直後において中国について語る事は危険基まわりないことだったからに違いありません。

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