宮沢賢治「注文の多い料理店」について3

 山奥に狩りに来たものの、獲物はとれないし、おかしな事が続くし、お腹も減ってきたから帰る事にした2人ですが、肝心の帰り道が分からなくなってしまいました。そんな2人が振り向くと、一件の西洋づくりの家が、ここで2人に関してですが、この辺りから「紳士」と表記されている場合が多いので、2人の紳士とします。さて、ここで話を戻して、急に出てきた家の玄関には英語で「RESTAURANT WILDCAT HOUSE」、日本語で「西洋料理店 山猫軒」と書かれた札が出ていました。明らかに怪しいですが、空腹だったので、ちょうど良いと近づきます。
 白い瀬戸の煉瓦で組まれた立派な玄関、そしてガラスの開き戸があり、そこには金文字で「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません」と書かれていました。これを読んで、2人は遠慮しなくていい、という部分を「ただで食べさせてくれる」と解釈して、今日は散々だったけれど、最後には良い事があるもんだ、と喜びました。意気揚々と中に入ると、すぐ廊下になっていて、ガラス戸の裏側には、またも金文字があり、そこには「ことに肥ったお方や若いお方は、大歓迎いたします」と書かれていました。

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宮沢賢治「注文の多い料理店」について2

 前回はイギリス兵隊風の青年2人が、狩りに来たものの道案内はいなくなり、連れてきた白熊の様な犬が二匹とも急に事切れてしまった所でした。犬が完全に事切れている事を確認して、2人は高い費用を払ったのに、と言います。ですが、片方は異様な雰囲気に気付いたのか、顔色を悪くして、もう片方に自分は帰る事を告げます。対して、言われた方は特に気にした風でもなく、お腹が空いたから戻る、と言いました。それを聞き、顔色を悪くした方は一緒に帰れる事に安堵したのか、すぐに切り上げようと言い、昨日泊まった宿屋なら山鳥が出ていたから、それを手土産に買って帰ればいい、と言います。
 それを聞き、腹が空いたといった方は、兎も出ていたから自分達で狩れずとも結果は同じだったかと気付き、帰ろうと言います。ですが、困った事に、どっちへ行けば帰れるのか分からなくなっていたのです。しかも、風が勢いよく吹いてきて、草もざわめき、木の葉も木も鳴る有様です。そんな中で、釣られて顔色の悪い方も空腹になって、歩く気も起きなくなってきたのです、そんな時に後ろを振り向くと、立派な一軒の西洋づくりの家があったのです。

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宮沢賢治「注文の多い料理店」について1

 本日から紹介する「注文の多い料理店」は、1924年に自費出版された短編集の1つでした。この短編集には作者である宮沢賢治の創作に対する姿勢と生き方について書かれた「序」が添えられていたそうです。ですが、本自体は当時の収入からすると高価だったので、売れ残っていたそうです。ですが、彼の評価が見直されると共に、この作品も国語の教科書に載るなど代表作の1つになったのです。
 そんな物語の始まりは、2人の若い青年がイギリスの兵隊風の格好で、白熊の様な犬を二匹連れて山奥に狩りに来て、帰る場面から始まります。2人は山奥まで来たのに、鳥も獣も見つけられず、手ぶらで帰る事になり、それについて不満を言い合っていました。ですが、その山奥は2人を案内してきたプロの狩人も、少し戸惑い、いつの間にか何処かへ行ってしまう程の山奥だったのです。しかも、その山の雰囲気があまりに凄かったのか、連れてきた二匹の犬も同時にめまいを起こして、しばらく吠えたと思ったら泡を吹いて事切れてしまったのです。この時点で、既に不穏な空気が漂っています。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について14

 本日で最後となる「セロ弾きのゴーシュ」、前回はゴーシュがアンコールの演奏を1人で任され、全員を見返すつもりで思い切り「印度の虎狩り」を演奏したところでした。ゴーシュは全員が慌てふためくだろうと思いましたが、皆はゴーシュの演奏を静かに、けれど一生懸命に聞いていたのです、そして、演奏を終えると、あの時の猫の様にゴーシュはセロをもって楽屋に逃げ込んだのです。そこには、ゴーシュを推薦した楽長を筆頭に仲間たちが目を閉じ、座り込んでいたのです。やぶれかぶれと思い、その間をさっさと歩いて長椅子に足を組んですわりました。
 すると、全員が一斉にゴーシュを見ますが、その顔は笑っていません。今日は変な晩だ、と思っていると、楽長が立ち上がってゴーシュを褒めたのです。一週間前より上達したと、すると仲間たちも立ち上がってゴーシュを褒めたのです。その晩、自分の家へ帰って、水を飲んで、窓を開けるといつかのカッコウを見つけたのです。ゴーシュが、あの時はすまなかった、怒っていたんじゃない、という様なセリフで物語は終わりとなります。次回からは此方も宮沢賢治の代表作「注文の多い料理店」を紹介します。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について13

 ゴーシュは自分のセロの演奏がマッサージ代わりになって、動物たちを癒していると知り、野ネズミの子も同じ要領で元気にしてあげました。野ネズミの母親は何度もお礼を言うので、最初の動物たちのように無下に扱う気になれず、パンを分けてやりました。感動のあまり泣いたり、笑ったりしながら野ネズミは帰っていきました。疲れたゴーシュは寝床に倒れ込むと、すぐに眠ってしまいました、それから6日目の晩、ゴーシュが所属している楽団は公会堂のホールで演奏を披露したのです。皆で演奏していた楽曲が上手くいき、ホールは拍手の音で溢れかえっていました、団員は嬉しさを隠さず、楽長も拍手なんて気にしていないようで嬉しさでいっぱいでした。
 そこに司会者が来て、アンコールをしているので、何か一曲してほしいと頼んできます。すると、楽長はゴーシュに何か弾く様に言ったのです、楽長だけでなく団員もセロを持たせて舞台にゴーシュを押し出したのです。ゴーシュはバカにされたと思い、猫を慌てさせた「インドの虎狩り」を思い切り演奏しました。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について12

 もう何度目かになる動物の訪問にも慣れたゴーシュですが、やってきた野ネズミの母親に自分が毎晩、動物たちを治していると聞かされて驚きます。他の動物は治したのに、自分の子供を治さないのはおかしい、と言われますが、ゴーシュは何かの間違いだと言います。なぜなら、今日までゴーシュは只管にセロを弾いていただけなのです、すると野ネズミの母親は泣きながら音が鳴っている間に病気になれば直ぐに治ったのにと泣き出したのです。それを聞き、ゴーシュは自分のセロで病気のが治るのかと、思わず叫びました。聞けば、この辺りの動物は病気になるとゴーシュのいる小屋の床下に入って、血の巡りをよくして治すというのです。
 それでゴーシュは動物とってセロの大きな音がマッサージの役割を果たしていると分かり、すぐ準備をして、音がよく聞こえるようにねずみのこどもをセロの孔へ入れてしまいます。それから、こどもが中で怪我をしていないか確認すると、ラプソディをごうごうがあがあ弾きました。少しして母親がいいというので演奏を止め、こどもを出してやると、しばらく眼をつぶって震えていましたが、起き上がって走りだしたのです。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について11

 追い返すつもりだった狸の子と朝まで夢中で練習を続けたゴーシュは暫くぼんやりして、自分が壊したガラスから入ってくる風を吸っていましたが、町へ行く為に仮眠を取りました。そして、狸の子が来た次の晩も夜通しセロを弾いて、疲れてウトウトしていると扉を叩く音がしました。もう慣れたゴーシュが「おはいり。」というと、戸のすきまから一匹の野ネズミが入ってきました、その後に小さな子供もいて、ちょろちょろとゴーシュの前に歩いてきました。その子供があまりにも小さいので笑ってしまいましたが、何を笑われたのか分からない野ネズミは青い栗の実を1つゴーシュの前に置いてお辞儀をしました。
 そして、子供の具合が悪くて死にそうだから助けてほしい、と言ってきたのです。ゴーシュは「先生」と呼ばれましたが音楽家であり、医者ではありません。だから、キッパリと医者は出来ないと言いました。ですが、野ネズミの母親は少し下を向いて黙りましたが、「それはうそでございます」と言いました。なんでも、ゴーシュは毎日、しかも上手にみんなの病気を治していると、続けたのです。もちろん、ゴーシュに覚えはありませんが、野ネズミは兎のおばあさん、狸のお父さん、みみずくまで治したのだから自分の子供だけ助けないのはおかしい、と言うのです。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について10

 ゴーシュは自分を訪ねてきた狸の子を怖がらせて追い返そうと、狸鍋を知っているかと聞きました。しかし、素直に知らないと言われ、思わず吹き出してしまいますが、気を取り直して鍋の説明をして、追い返そうとします。ですが、狸の子は親にゴーシュは良い人だから習って来いと言われ、ここに来たと言ったのです。そこで我慢の限界に達して、ゴーシュは笑ってしまいました。そして、狸の子に何を習いに来たのか聞きました、すると自分は小太鼓の係でセロへ合わせて来いと言われた、との事でした。ですが、肝心の小太鼓が見えないのに、狸の子は棒を二本だすと、「愉快な馬車屋」をリクエストします。
 ゴーシュは狸の子に渡された楽譜を読んで、また笑いますが、セロを演奏してやります。すると狸の子はセロの駒の下をぽんぽん叩いて、うまく調子を合わせます。ゴーシュは面白く感じたのですが、最後まで弾くと狸の子は首をかしげて、ゴーシュの演奏で気になる部分を口にしました。それは、ゴーシュも自覚して、ちょうど練習していた所だったのです。そして、ゴーシュと狸の子は、どうにか上手くできないかと、朝まで練習を続けたのです。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について9

 自分の言葉が予想以上にカッコウを驚かせ、何度も窓に向かわせたことに慌てたゴーシュは思わず足を上げて窓を蹴りました。窓はガラスが何枚かすごい音と共に砕け、窓枠ごと外へ落ちました、その窓の後をカッコウが矢の様に外へ飛び出しました。カッコウは、そのまま真っ直ぐに飛んでいき、とうとう見えなくなってしまいました。その様子を暫く呆然と見ていたゴーシュですが、そのまま倒れるように部屋の隅に転がって眠ってしまいました。次の晩もゴーシュは夜中すぎまでセロを弾いて、疲れたので水を飲んでいました、すると扉を叩くものが来ました。
 猫にカッコウと連日の訪問に、今度は此方から脅かして追い払ってやろうと思い、ゴーシュは待ち換えました。すると、扉を開けて入ってきたのは一匹の狸の子供でした、彼は扉を少し広く開くと、足で大きなを音を出すと、狸汁を知っているかと怒鳴りました。ゴーシュとしては、帰らないと食べてしまうぞ、という意味で言ったのですが、狸の子は床へ座って首をかしげて考えますが、素直に「知らない」と答えました。

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宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」について8

 ゴーシュの元に音楽を教えてほしいとやってきたカッコウに頼まれ、セロを演奏しますが、手が痛くなって辞めて演奏を辞めてしまいます。するとカッコウは、どうして演奏を辞めたのかと、カッコウならのどから血が出るまで叫ぶと詰め寄ります。ゴーシュは何を生意気な事を、と窓を指さして日が昇る頃だから帰る様に言います、カッコウは日が出るまで後一度だけど頼み込みます。ですが、ゴーシュは出ていかないなら食べてしまうぞ、とカッコウを脅かします。驚いたカッコウは窓に向かって飛び立ち、ガラスに頭をぶつけてしまいます、これにはゴーシュも慌てて窓を開けようとしましたが、開けにくい作りの窓で手間取っている間に、またカッコウがぶつかってしまいます。
 それでクチバシの付け根から血が出てしまい、それで余計にパニックになったのか、カッコウはゴーシュがやっと開けた隙間にも気付かず、窓に激しくぶつかります。ゴーシュは自分がドアから出してやろうと思いましたが、カッコウは警戒して懲りずに窓に向かいます。

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